2019年 06月 15日
痛みにつきあうこと。
梅雨寒の日。
赤紫のアジサイの中に、真っ白なアジサイが混ざって咲いていた。
赤紫と青のアジサイはよく見かけるけれど、真っ白はなかなかない。
じとっとした感じを吹き払うような空間がそこにはあった。
今日はペインクリニックに行く。
「慢性痛の場合は、痛くてもからだを動かさないと筋肉が弱ってしまうから、
うまくつきあうしかないんです。」
からだを動かさないと痛みは強くなるかと聞いたところの返答。
そうだよなと思いなおすしかない。
もう何も聞くことはないはずなのに、わかりきっているのに、聞いてしまった結果だ。
『ミルトン・エリクソン心理療法』という本のページをめくる。
エリクソンは若いときにポリオにかかって、目しか動かせないまでひどく
からだを侵された。
からだを動かせない状態の中で、指先だけがぴくっと動いたのを見逃さなかった
エリクソン。指先を動かす練習をはじめ、最後にはカヌーをのりこなせるまでに
なった。(努力して変化を起こした)
その後、後遺症で痛みは強まり、からだが引き裂かれるような痛みにも耐え、
セラピーの仕事を続けた。
いつもユーモアを欠かさず。
エリクソンは痛みをもった患者を多く診た。
本にはこうある。
>消耗性の激しい痛みに苦しむ患者たちにも、生産的になるために、
>少しでも気分の良い時間を利用することを教えている。
>成長志向のセラピーは、患者が何をやりはじめられるかに焦点を絞っている。
>健康な大脳には継続的な刺激と努力を要する処理が必要である。
>エリクソンは自らのポリオの体験から、能力の実質的な欠損ですら、
>心身の他の部分が埋め合わせることができることを認識していた。
進歩は積み重なるとエリクソンは言う。
ほんのわずかな変化は大きな変化につながる。
なんどもこの本を読み返すことになりそうだ。
by hamuneko7
| 2019-06-15 19:02
| からだのこと
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