介護小説とフェミニズムは、相性が悪い?

梅雨入りしそうで、なかなか梅雨にならず。
今日もさわやかな風が吹いてきてくれる。
ありがたや。

ここのところ、また介護関係の本に入りびたり。

『<介護小説>の風景』は、読んでいて少しばかり不快になったので、
途中で読むのをやめた。
フェミニズム運動の延長線上で語る みたいな感じ、
男性の目線で書いたものをあげつらう感じ、
それが不快だった。

男性の視点で見て、「ふーん、こう感じているのか・・・」と読むのが
楽しいというか、そんなんだと納得するというか、それでいいと思う。
作者の感じ方を否定しても仕方ないと、わたしは感じた。

『恍惚の人』に関しても時代が書かせたものもあり、今からみて
どうのこうのいうより、当時はこうだったのかと読みたい。
実は『恍惚の人』を読んでいなかったので、かえって読みたくなった。
批評ではなく、本そのものを。

フェミニズムにとらわれることは、私自身の経験からよくわかる。
でも相手を敵にしてしまった時に味わうさまざまな感情や痛手を知っている
わたしとしては、そこには戻れない。


昨日、介護保険の担当者会議があった。
ケアマネとリハビリ担当者・訪問介護担当者の上司・あとは家族。

訪問介護で生活援助と身体援助をどうしてもらうか、
いつ、何をしてもらうかがいつも焦点となる。

今来てもらっている訪問介護の事務所は、かなりマニュアル的なやり方を
強制するようで、ヘルパーに「やってはいけない」ことをしっかり
たたきこんでいるようだ。

それに対し、義母や義妹は~してほしいとはっきり言う。
介護保険の意味を逸脱したところで、やってほしいことを要求する。

この事業所(訪問介護担当の人)と、義妹のぶつかりあいの場にいて
なんだかいたたまれなくなった。
ケアマネはいっしょうけんめい、家族の要求をかたちを変えて
事業所の人を説得しようとしてくれている。
折衷案を小出しにしながら、やっとなんとかまとまった。

介護ヘルパーになる人は、どんな人だろう?
研修を受けて、低賃金で人の世話をする。

介護保険導入前は、ヘルパーの意味・意義とかいったものが、
自然と考えられていた気がする。
その証拠と言ってはなんだけれど、ヘルパーの援助について書かれた
本で、思想を語るものは1990年代位までさかのぼらないと、
なかなかない。
図書館で、古い本を借りることになる。
今店頭に並んでいるのは、ハウツウものばかりだ。

今借りている本は、なるほどと思う部分が多い。
『新・ホームヘルパーのためのガイドブック 援助計画の指針』
(誠信書房)
これは1999年に出ている本。

ヘルパーと家政婦(こういういいかたでいいのか、わからないけれど、
意味的には家政ということばは重いから、なかなかいい言葉だと
わたしは感じている)
これを制度を知らずに混同してしまうことは、しかたないことでもあり、
また困ったことでもある。

この説明だけで、利用者と事業所の人との間でいらぬ摩擦がおこる。
理解してほしいと事業所の人は言うけれど、
ほんらいの理念を考えてはいないから冷たい言葉になる。

なんとかならないかなぁ・・・

わたしも中に立って仲介するのは、疲れてきた。
あぁあ。

実は、義母や義妹と顔を合わすのも、ちょっと疲れてきて、
そうとうがんばらないとからだが動かない。

あぁあ。

最後は愚痴にて終了。
トホホ・・・
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by hamuneko7 | 2015-06-07 10:43 | Comments(0)

ゆっくり,ゆっくり。


by hamuneko7
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