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ぼちぼちいこか~

salley73.exblog.jp
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せめて一緒に歩いてほしいの。

もうへとへと。
音を上げてしまう。

(音を上げる。弱音を吐く。
このとき使うのが「音」という文字だというのがなんだか
不思議な感動。
音をあげているとき,この「音」がきれいな音だったら
いいなぁなんて,おかしなことを思ってしまった。)

昨日は,義母のからだの痛みを抑えるために,
ペインクリニックへ行く。
義父が家にいる日だったので,一人で置いておけず,いっしょに
病院に行くこととなった。

義母はもともとちゃきちゃきした人で,言いたいことははっきり言う。
病気の症状でもあるが,人のことに無頓着になりつつあって,
ペインクリニックに行くことしか頭にない。

だから,タクシーに乗る前に気になったこと,
「あそこの道は右折できるかしら?」という疑問を前の日の夜から
気にしていて,タクシーを呼ぶ前に誰かに右折ができるかどうか
聞きたくて仕方がない。

でも,わたしは早くクリニックへ行きたいので,
「タクシーの運転手さんに聞きましょう。」といって,ともかくタクシーを捕まえる
ことに集中。

タクシーが来たので,道を聞くと右折は可能らしいので,やっと
両親をタクシーに乗せる。
こんどは,クリニックの行先だ。

わたしは初めての場所だったので,住所を調べていた。
義母は「〇〇橋があるでしょ。・・・」と話し出す。
運転手はどうやらよくわからないらしい。
義母は昔のそのあたりについては詳しいが,今のことはよく知らない。

わたしが住所を言うと,ナビを使ってなんとか近くにたどり着く。
でも,義母は「陸橋はどこ?」と繰り返し,タクシーを降りても
「陸橋,陸橋」と言っている。

タクシーを降りたところは,あまり車が通らないとはいえ
道路のまん中。
義母と義父はそこで立ち止まってしまい,場所がわからなくなって
困ってしまっている。

「ここは道路のまん中ですから,端に行って確かめましょう。」
というと,二人とものろのろ動き出す。
安全確保ののち,地図を確認。
どうやらクリニックのあるマンションの裏にでてしまったようだ。

「あっちですね。」と方向を指したら,タクシーの人もわざわざ調べて
くれていたらしく,同時に「向こうです。」と教えてくれる。

横断歩道を渡って,少し視界が開けたら,義母は
「そう,あの陸橋!」といって,歩みを早める。

陸橋と言っていたのは歩道橋のことだった。

義父はここ数年歩きが極めて遅く,すり足でしか歩けない。
だから,義母はさっさと前を歩き(歩行器を使って),義父のことは
置いていってしまう。

わたしの立場は,両親をどちらも安全に移動させることが大事。
義父と義母が離れて歩くと,わたしが混乱してくる。
段差があるところでは義母の歩行器を上げてあげなければならないし,
ゆっくり歩く義父が,迷子になっては困るし,つまずいてころばないよう
見ていなくてはならない。

なんでいっしょに歩いてくれないの?と最初から音をあげていた。
だって,今日は2か所のクリニックに行くのだから・・・

ともかくペインクリニックに着いて,待合室で待つ。
名前を呼ばれたら全員で診察室に行く。
義父を置いていくと不安からか,どこかにいってしまうかも,
義妹から「診察室にいっしょに連れて行って」と言われている。

12月以降の義母の症状と病気のこと,痛みのこと,痛みを止めるための
方法についてわたしが先生と相談。
義母は,わたしに「あなたが全部話して」というので。

痛みの原因についてレントゲンを撮った後説明され,神経ブロックの注射を
受けることになった。
予約外なので,午前中の最後に注射。
かつ注射後1時間寝ていなくてはならない。

義父は,認知症の物忘れが進んできていて,何をしに来たか・どこにいるのか・
誰ときたのかといったことをすぐ忘れる。
待っている間,なんどもお母さんが痛みを抑えてもらうのに注射を待っていると
繰り返し,食事に連れ出した。

ドトールがいいらしく,そこに入る。
お昼時で混んできたが,食べ終わったという頃に,とつぜん義父が昔の
アルバイトの記憶を語りだした。
どうやらずっと見ていたのは,ドトールの店員だったようで,その動きや
対応を見ながら,義父自身が,戦後間もない頃,有名なレストランでボーイ(?)を
1年間やっていた記憶がよみがえったらしい。

アルバイトのことやら,仕事のこと,いろいろ話して区切りがついた時点で
「出ましょうか」と切り出したら,お財布を出し始めた。
初めてのこと!
わたしがいつも会計をしていた時は,なんの反応もなかったのに,
昔の話をした途端,お金を払うことにまで頭がいったのだ。

と,店をでたら
「さぁ。僕はどうしようかな。帰るかな。駅はどこだろう?」
と言い出したので,ペインクリニックに戻ってお母さんを待つことを説明。
500メートルくらい歩くうちに,3回説明した。

とまぁ,lこんなで次のクリニックへ2時過ぎに移動。
終わったのが4時ころ。

こういうことは,介護をするという行為の中では,初歩の初歩だろうし,
大したことではないのだろう。
でも,愕然とした。
これが24時間毎日続いたらどうなるの??って。

介護をなさっているみなさん。
ほんとうに頭が下がります。
義妹も毎晩,両親といっしょに暮らしているわけだし・・・

書類関係のこと,わたしにお任せになっていて,ほんとうは
昨日渡された書類を義母のいる家にもってきてほしいと義妹に頼まれていた
のだけれど,もう明日は動けないと,夕べ連絡。

わたしもこれだけ愚痴を書いたので,
あとはまた寝ます。
by hamuneko7 | 2015-02-26 10:25 | Comments(0)

ゆっくり,ゆっくり。


by まるちゃん