2024年 03月 11日
今日の春&震災の記憶
今日の散歩で見つけた春。
・畑の縁に広がっていたホトケノザ
・車道のそばに咲いていたカラスノエンドウの
赤紫の花(豆の仲間なので花はもちろん豆の
花の形。かわいい〜)
・沈丁花。香りのみで姿は見えず。
感情と痛みの関係について書かれている本に、
香りは痛みを和らげるとありました。
散歩に出かけ<あぁいい匂い🎵>
と声をあげるたびに、もしかしたら
痛みも減っていたのかも✨
散歩の効能は大きいですね。
ところで、
録画しておいたドキュメンタリーを見ました。
『解放区』という番組で流した[ある家の記録]
というものです。
福島県浪江町赤宇木地区に代々住んできた
今野さんという人と家を数年追いかけて
作られたドキュメンタリーです。
ここはいまだ帰宅困難区域です。
今野さんの家の前の道だけは除染済。
でも道から20メール離れたところは除染しない
というルールがあるのだそうです。
(調べてみたら環境省の作成した規則?があり
平成28年のものを見ると、林縁から20メール
離れた区域は除染した場所の2倍から3倍の高さの
放射線が発生していない限り、除染対象外とのこと。)
今野さんの家は代々の名家で、道の近くに
家が建っていたので、放射線で汚染され
住めなくなった家屋と認定され
公費で家の解体をして更地にする対象と
なりました。
何代も前からここに住み、兄妹も今野さんも
この家で育ち暮らしてきたわけですから、
家を解体するというのは
大きな決断でしたが、他人に勝手に壊されたり
するよりは、自身から幕引きをすることで、
しっかりと別れを告げ区切りをつけられると
考えたそうです。
(テレビ取材が入ったため、今野さんが
取り壊しに立ち合うという約束は反故にされ
気づいた時には更地になっていた実際でした。)
記録を残す、ここに住んでいたという歴史を残す
ことが大事なんだと言っていました。
暮らしのひとつひとつの出来事、季節の行事を
繰り返してきたということを忘れられたくない。
生きてきたことまで忘れ去られてしまうことになる。
そんな話をしていたと思います。
でも今野さんは、自分達は恵まれているとも
言っていました。
国は除染のルールを作ることで、町の人どおしを
分断していると言います。
赤宇木の村の住民の多くは、道路よりもっと
山の奥のほうに住んでいるのだそうです。
ですから除染もされず家の解体費も出してもらえず
ただただ帰宅困難区としてほうっておかれ、
家は草ぼうぼうの廃屋となり消えていく
ことになるわけです。
ここに住み着いた人たちは、戦争で満州の開拓民
として中国に行き、敗戦で命からがら浪江に
やって来て、与えられた土地は森。
新たに森を開拓し生活の糧を得て暮らし始め、
今度は原発事故でまたこの地を追われてしまった..
国策で振り回されすみかを奪われ続けた
ということなのです。
今日もテレビで震災から13年という放送が
いくつも流れていました。
復興とか、記録を残すとか、いろいろ言っては
いますが、今野さんの語ったような記録.記憶を
残すというのとちょっと違うように聞こえます。
がんばってここまで書いて、へたってきました。
今日はここまででおしまい。
おやすみなさい🌃
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by hamuneko7
| 2024-03-11 21:47
| 日常の話と本や映画,みたテレビのこと。
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